俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

ライバルはイチロー


イチローが引退してしまった。

イチローというのは、弓子の旦那の、一弓の飼い主の、あのイチローだ。

”最低50歳まで現役でプレーをしたい”と言っていたイチローだったが、有言実行とはならなかった。

”最低50歳まで”とイチローが言ったとき、

「いや~無理だろう」という気持ちより、「イチローならもしや」という気持ちのほうが大きかったな

でもさすがのイチローでも、それは無理だった。

ここ数年の起用のされ方を見ていて、終わりを覚悟している自分もいたし、それでも「レギュラー陣がけがをして、イチローのチャンスが増えれば勘も戻って、それなりに数字を残すんじゃないか」なんて信じている自分もいた。

でも、現役選手としては本当にこれで終わり。

寂しいけれど、今は「お疲れ様」と言いたい。

本当にお疲れ様。

たくさんの素晴らしいプレーをありがとう!

イメージ 1



僕は、イチローと同じ1973年生まれ

同学年だ。

んで、僕はイチローのライバルではないけれど

イチローは僕のライバルなのだ。

20代の時からずっと。

1994年に年間210安打を記録し、僕が”イチロー”の名を認識した時から今までずっと

イチローは僕のライバルなのだ。


ちなみに、僕と同じようにイチローをライバル視している芸人がいた。


ブラマヨの二人もまた73年生まれで、特に吉田はあらゆる面でイチローをライバル視していた。

テレビではそのことをみんな笑っていたが、僕だけは笑えなかったのを覚えている。

だって、まったく同じように考えていたのだから。


僕はこのことを誰にも言っていない。

友達にも、職場の同僚にも、嫁にも子供にも

言えば当然笑われるだろうからね。

でも本気なのだ。

本気で「いつか勝ちたい」と思っている。


僕も高校時代は野球部だった。
でも軟式野球部で、県大会止まりで、しかもレギュラーでさえなかった。
悔しくて途中で部活を辞めてしまったので、卒業時は帰宅部
誰にも見送られることもなく、高校生活を終えた。

それは少なからずコンプレックスになったが、大学では別のスポーツをはじめ
ちゃんと4年続けたことで自分にケリをつけた。

そんな僕にとってプロ野球の世界で次々と記録を打ち立てるイチローはまぶしすぎる存在だった。

イチローが年間210安打のプロ野球記録(当時)を打ち立てた1994年、僕は居酒屋でバイトをしながら大学に通う童貞君だった。

イチローがメジャー1年目で新人王、MVP、首位打者盗塁王ゴールドグラブ賞を獲得した2001年、僕はバイトもせず、アルバイトもしていないニートだった。

イチロージョージ・シスラーの持つメジャー年間最多安打記録を破る262安打を放った2004年、僕は仕事はしていたが年収はボーナスなしの240万円だった。

イチローオールスターゲームでランニングホームランを放ち、MVPを獲得した2007年、僕はアルバイトをかけもちするフリーターだったし

イチローが名門ヤンキースに移籍した2012年、僕の貯金はゼロに近かった。

それでもイチローは僕のライバルだった。

イチローの存在はいつも僕を奮い起こし、エネルギーを注入してくれた。

年収、知名度、ルックス、何をとっても現時点では勝てるものは一つもない

それでも、いつか追いついてやる

いつか追い抜いてやると思ってがんばっている。

何かで一発当てて、大金持ちになってやろうか

歴史に名を残すような偉業を成し遂げてやろうか

政治家になってイチロー国民栄誉賞をあげる立場になってやろうか

最悪、どれもかなわなかったら

せめてイチローより長生きして長寿対決を制してやろうか。

そんで奥さんと幸せに老後を暮らして、人生の総幸福度でも勝ってやろうか。

何で競うかは俺次第。

勝ったか負けたかの判断も俺次第。

俺は、「イチローに勝った」といつか言えるまで頑張る。

それだけ。

イメージ 2


僕のライバル・イチローは現役生活を終えた。

これからが勝負だ。

これからどんどん差を縮めて・・・・何かで勝ちたい。

イチローマリナーズで役職が用意されているらしいが、現役の時に比べれば収入も認知度も、影響力も、少しは弱まるはず。

でも、ま、ライバルにはがんばってもらわねば、こっちも張り合いがない。

勝負はこれから

がんばろう、イチロー