それは僕が子どものころ
両親は小さな小さなスーパーを営んでいた。
うまかったな~。『シャウエッセン』
パリッとした皮と、溢れる肉汁!
大人になった今、自分の金でそう簡単に買えないものであることがわかると、改めて両親の偉大さがわかる。
これだって、かなりの贅沢だ。
だから1回に2本ほど油でいためて、パンに挟んだり、目玉焼きに添えたりしながら大事に食べている。
しかし、男・速水もこみちは違うのである。
ウインナーの袋を一度開けたら、全てフライパンで炒めて、「超豪華ウインナー定食」を作ってしまうのである。
そして「ウインナーって正直、味意識して食べたことなかったな~」なんて余裕をかましちゃうのである。
かっこいい・・・・・。さすがもこみちなのである。
そう。
もこちゃんはかっこいいのである。
かっこいいから、これといって面白いCMを作る必要もないのである。
「俺、納得」なんていいながら、そのきれいなお顔をずっとアップでうつしておけば通用するのである。
80年代のアイドルはずっとそうやって売っていた。
レコードのジャケットだって、雑誌(『明星』や『平凡』など)の写真だって、普通に大きく撮れていればそれでよかった。
わざわざ面白おかしく工夫する必要なんてなかった。
あれから20年。
CMは非常に華やかに、百花繚乱に、発展を遂げたように見える。
ちなみに、僕も若い頃、自分の顔にはかなり自信があった。
毎晩、親が寝静まった後、一人洗面台の鏡に自分の顔を映しては、
「う~む。これはかなりのものだ・・・」と唸っていた。
しかし、不思議なことに、このかなりイケているはずの顔も、写真に撮られるとダメだった。
最初は「カメラが悪いのかな?」と思ったが、卒業写真を含め、撮られる写真、すべて「本当の僕じゃない僕」が写っていたりすると、嫌がおうにも「もしかして、俺は人の目にこう映ってるのか!?」と思ってしまう。
おそらく、周りの友だちは写真を見て戸惑う僕に「何?どうしたの?よく撮れてるよ」と言うかもしれない。
なぜそんなことが起こるのか。
その理由がわかるまでに10年の歳月を費やした。
そう、周りの人にはこのように映っているのだ。
でも自己評価は違うのだ。
人間は「洗面所の鏡で見る自分の顔」が本当の顔だと思いたがる。
洗面所の鏡に映る自分の顔は問題がないし、外に出しても恥ずかしくない。特に近くで見れば見るほどかっこいい。
しかし人は写真に映った自分の顔に愕然とする。
そして「いや~!超ヘンな顔~!」と叫ぶ。
しかし騒いでいるのは本人だけ。周りの人から見ると、いつものその人の顔なのである。
やや暗い照明の下なので瞳孔が開く(人は瞳孔が開くと魅力的に見える)からか、毎日見るので自然に自分がきれいに映る角度を覚えて、鏡の前ではいつもその角度で見るからか。
いずれにせよ、まわりの人が普段見ている自分の姿は、自分が受け入れられないくらい格好が悪い。
幸い、人は普段、周りは見えても自分の姿は見えていないから生活できるが、時々、ガラスやビデオ、写真で自分の姿を振り返ったときに愕然とする。僕はまだまだ心も体も若いつもりでいたのに、周りからは結構なおっさんに映っている・・・。
それを受け入れられるようになったのは本当にこの5年くらいだ。
この「鏡」と「写真」のギャップ
もこみちにはわかるまい・・・・・・