先日、テレビで「すき焼きの名店」を紹介していた。
ものすごい霜降りの牛肉を、すき焼きにして出す店だ。
すき焼きの肉を食べた石塚さんがお約束の「まいう~」を連発。
さらにその霜降りを使ったステーキを堪能。絶句のうまさらしい。
そうだよな。そんなたいそうな肉なら、焼いて食うのが一番うまいよな。
実は僕はすき焼きに懐疑的だ。
すき焼きは最悪の料理法だ。
確かにそうだ。
それ以来、僕はすき焼きを楽しむことが全くできなくなってしまった。
それは「美味しんぼ」の主張に100%の納得をしたからだ。
本当に甘い。
本当に砂糖の味がするのだ。
あれでなぜ飯が食えるのだろうか?
実は昨年、本当に久しぶりに吉野家ですき焼き定食を食べたが唖然としてしまった。
甘すぎる。
日本の食べものは総じて甘い、または甘いか辛いかはっきりしない、という外国人の声をよく聞く。
確かにすき焼きを筆頭に、どんぶりものや煮物全般、砂糖(または味りん)と醤油の組み合わせで甘辛い味付けのものが多い。(ちなみに外国人にウケがいいのはラーメンと味噌汁。これは甘くないからだ)
そしてすき焼きの最大の欠点は、じかに飲めないようなものすごい甘辛いたれで肉から野菜から豆腐まで全部を煮込んでしまうことだ。
すき焼き以外の他の鍋物は、そもそもスープがゴクゴク飲めるほど旨いし、具材の旨みがスープに溶けて、さらに旨くなる。
ダシの旨さが鍋の旨さとも言える。
しかしすき焼きのダシは飲めない。
醤油臭くて甘すぎのスープなんて飲めやしない。
体にも悪そうだ。
元々、農耕具の鋤(すき)の上で猪肉などを焼いていたのがすき焼きの起源だそうだ。
つまりすき焼きはもともと鍋物ではないのだ。
今のスタイルも鍋物というより、むしろ煮物に近いのかもしれない。
鍋を使ってその場で調理をしているから鍋物の部類に入っているだけなのだ。
煮物ならご飯に合うはずだ。しかしさっきから言っているようにすき焼きは砂糖の味を感じるほど甘いし濃い。
ではどうするか。
生卵につけるのである。
これに疑いをもつものがこれまでほとんどいなかった。
生卵に合うのは白飯だけ。すき焼きには合わない。
これが結論である。
生卵につけると、90%生卵の味になって、かすかに肉や野菜の味がするだけになる。
つまり、生卵は素材の味をまったく生かさない。全部を生卵の味にし、素材の味を消してしまう。
生卵をすき焼きにつけて食べるのはもう習慣なので全くその味に疑いを持つ者は少ない。
でもその気持ちはわかる。すき焼きは味付けが濃すぎるから、生卵をつけて味をマイルドにしないと食べられたものではないからだ。
でもよくよく考えたら、生卵で味をマイルドにするぐらいなら、はじめから味付けを薄くすればいいのだ。
寄せ鍋の出汁ぐらいの、
いってもそばつゆぐらいの濃さの汁にしておけば、生卵の力を借りる必要なんてなかったのだ。
日本人の多くはその矛盾に気がついていない。
そして今も呑気に
「すき焼きうめ~」
「すき焼きには生卵だよね?」
なんて馬鹿みたいなことを言っている。
気持ち悪いよ。
ドロドロするよ。
しかもたまご臭いよ。
白米と違って、肉は卵の味を生かすことはないんだから。
また生卵によってお肉がおいしくなるわけじゃないんだから
まさにごちそうをドブに捨てるようなもんだ
だからこそ、高級な牛肉料理を扱う店ですき焼きなんかを出すのを見ると本当に牛肉が哀れに思うのだ。
すき焼きは牛肉の扱いをしらなかった文明開化時代の遺物だ。
しかしその肉が高級なら高級なほど、すき焼きにするのはもったいない!
霜降りの最高級、5Aランクぐらいの肉に、すき焼きの甘辛いたれをかけて煮込んでしまうのは牛に申し訳なく思う。
おそらく店側もそれをわかっている。一応、すき焼きを喜ぶ客もいるのでメニューには載せるが、できればステーキで食べてもらいたい、網焼きで食べてもらいたいと思っているはずだ。
すき焼きを看板料理に掲げている料亭などがあったら、そこは本当に明治の遺物だ。
レトロを売りにしているに過ぎない。それを喜ぶ客がいるのだからそれはそれでいいだろう。
もし本気ですき焼きを旨い、最高の牛肉料理と信じて出しているとしたら、そいつは舌バカだ。
確かにその通り。
それに僕も目の前にすき焼きが出されたら食う。
それは貧乏人の僕にとって牛肉は普段手の届かないものだから。
出されたらそりゃ~食う。
でもすき焼きの味付けは本当にもったいないと思う。
僕はすき焼きを楽しめなくなった悔しさを、八つ当たりでみんなにぶつけたいのだ。
さ~、甘いよ。甘~く感じるよ。すき焼きは甘いよ~。
肉も野菜も味付け濃いよ~。醤油濃すぎるよ~、体に悪いよ~。
ほ~ら、生卵の味しかしないよ~。気持ち悪いよ~。お肉台無しだよ~。