俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

拝啓、尾崎豊様

夕方、Yシャツにアイロンをかけながら『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』(TBS系)を観ていた。「旅立ちに刺さる卒業グッとフレーズ」という部門で50代以上の人が選んだのが尾崎豊の『卒業』であるが、今、Z世代にも尾崎の歌は再評価されているという。SNSで見栄を張り続ける今の生活、不景気やコロナ禍で明るい未来が見えない現状を”不自由”や”束縛”と捉えた若者の心に尾崎の言葉が刺さっているという。僕はYシャツのシワを伸ばしながら思う。

尾崎・・・あんたズリぃよ。

『グッとフレーズ』4時間SP出演者

僕も尾崎世代で、中学・高校・大学とずっと尾崎を聴いていた。「夜の校舎窓ガラス壊して回った」ことはないし、むしろ生徒会長を務めるくらい真面目だった。校則も守ったし、制服もきちんと着ていた。部活もしていたし、受験戦争にも挑んだ。でもずっとどこか窮屈さを感じていた。真面目な生徒も不良も、その点では同じで、むしろまじめで大人に逆らえなかったからこそ不良に憧れたり、尾崎の歌詞に共感したりしていた。当時はみんな弱かった。喧嘩の話じゃなくて、不良も心身ともに未成熟だったからこそ虚勢を貼っていたし、真面目な生徒もそう。そして先生もか弱き大人の代弁者だった。

卒業ソング… - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

尾崎は26歳で亡くなってしまった。最後までティーンのカリスマであり、若者のやりきれない感情を代弁したまま逝ってしまった。

んで残された僕らはそのまま大人になって、おじさんになって、若者から毛嫌いされる立場になった。僕はしがない派遣社員なので別に若者を縛り付ける社会のルールやシステムを作っているわけでも、明るい未来を描けない社会を作った張本人でもない。が、子供には「勉強しなさい」という親にはなったし、新人社員には偉そうに講釈を垂れる大人にはなった。だから若い人から見たら”汚い大人””信じられぬ大人”と見なされているのかもしれない。

『うっせぇわ』を言われる側に - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

で、これくらいの年齢になると、”汚い大人”ってのも社会には必要だということもわかってくるし、社会に取り込まれた犬・豚となった大人の気持ちもわかってしまう。日本の主権や領土を奪おうとするアメリカ・東アジアの国に対し「NO!」と言える政治家が正義!と昔は思っていた。が、裏で「ま、ここは穏便に」と袖の下を渡す政治家がいるからこそ戦争が回避され、日本の平和が保たれていることは今ならわかる。社会に縛られず自由に生きるのが尾崎イズム!と気に入らない会社を辞めるのも20代までならできる。しかし家族を抱え、子供の教育費・家のローンのために社畜になる人を今は責めることはできない。そんな弱い大人をわかってしまう今の自分がいる。

そんな大人を尾崎も薄々気づいていたように思う。大人と若者、社会と若者という二項対立ではなく、大人も含めて”人は誰も縛られたか弱き子羊”なのだということを。尾崎だって生きていれば街に、そして社会に飲まれている可能性はある。息子の裕哉君が「学校に行きたくない」と言い出したとき、「がんばって行きなさい」といえば昔からのファンに幻滅されてしまうし、「学校なんていかなくていい」といえば”ゆたぼんのパパ”と叩かれそうだし、「今はフリースクールやN校もあるよ!」なんて言えば「なんか・・・尾崎っぽくない・・・」とこれまた不評を買いそうだ。50歳になったらいくら尾崎でもティーンのカリスマではいられない。”説教臭いおじさん”って言われかねないし、「自由になりたくないかーい!熱くなりたくはないかーい!」なんて言っても「うぜぇ」とネットで叩かれかねない。

洋平🐾 (@yohey1231) / Twitter

だからもし50代の尾崎がいたら、40代のファンを鼓舞するような魂の叫びを聞かせてほしい。60代の尾崎がいたら、50代の気持ちを代弁してくれる歌を歌ってほしかった。令和の社会を、世界を、人間を尾崎の世界観で表現してほしかった。今年50歳になる今の自分はまだまだ弱くて、社会の冷たい風には立ち向かえなくて、それでもがんばって生きていくためにはアニキの言葉が必要なのである。

が、尾崎は26歳で逝ってしまったのである。僕らを残して。

尾崎は今、僕らがいる「大人側」「先生側」「社会側」に来ることはなかった。そして尾崎の死後も生きながらえて、自動的に”こちら側”に来ることになった今の僕らは「老害」「使えない大人」なんて言われたり、尾崎の歌そのものでZ世代から批判をされてたりしている。

だから思うのだ。

尾崎・・・あんた、ずりぃよ。

老いたところも見せずに、大人や社会に悪態をつくだけついて若者を煽ってドロップアウトするなんて・・・。

勿忘草(わすれなぐさ)

 

書斎を捨てよ、街へ出よう。

僕は今、カフェで中国語を勉強している。まだ3日目だがカフェでの勉強はなかなか快適だ。ここで1時間粘ってから家に帰る。これを続けるつもりでいる。

実は今、中国語を勉強しなければならない状況にある。8月から中国に転勤することになったからだ。昨年11月にはそれがわかっており、独学で勉強を始めていたのだがあれから5か月、勉強は一向に進んでいない。毎晩、書斎に入り3時間くらいは机に座っているのだが、ほとんど勉強をしていないのだ。そして出した結論は「僕は書斎では勉強できない。外でしよう」ということだった。「俺よ、書斎を捨てよ、街へ出よう」

語学は結局「努力と根性」 - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

書を捨てよ、町へ出よう - Audiolibro | 寺山 修司 | Audible.es: título narrado por カルメン・マキ,  唐沢 龍之介, 榊原 忠美 en Japonés

 

実は僕は勉強の集中力には自信があった。第二次ベビーブーマーだったので、同世代の大学受験の人数は半端なく多かった。受験戦争は大変だったが、真っ向から立ち向かった。結局浪人することになったのだが、それでもあの時たくさん勉強したことはその後の人生の自信になった。「俺はやる気になったらやる男だ。そしてやる気になったそれができる男だ」と自分に言い聞かせながら今まで生きてきた。

が50歳になった現在、びっくりするほど勉強しようとしない自分がいる。というかこの10年くらいずっとこんな感じだ。

「俺はやる気になったらやる男だ。まだ本気出してないだけ。まだやる気スイッチが入っていないだけ」

この10年くらいずっとそんなことを自分に言い聞かせている気がする。僕は今、マレーシアに住んでいて、幸い自分の書斎をもたせてもらっている。コロナ禍は自分の書斎でZOOM会議に出席したり、書類やプレゼン資料を作成したりしていた。今は出勤が可能となったが夕食を済ませると書斎に入るのがルーティーンとなっている。

この5か月、毎日中国語の勉強をしようと勇んで書斎に入るのだが、机に座ってやることはまずパソコンの電源を入れ、メールチェックをしてMSN JAPANとYAHOO!JAPANの記事をチェックすることだ。すると30分くらいはあっという間に経ってしまうのが不思議だ。次に「歯磨きの間だけ」なんて言いながらYoutubeなんかを見始めちゃうとこれまた1時間くらいすぎていて、ブログを書き始めちゃうとさらに1時間半、エッチな動画を見始めちゃうといつの間にか2時間とか平気で過ぎていて、結局「明日も早いから寝ないと…」なんて言って勉強せずにベッドに入る生活を実に5か月も続けている。

いらすとやの面白い、闇が深い、シュールなイラストを紹介する|いわこわらいと

ちょっと前にネットで見たのだが、人はルーティーンを守ると自然に体が反応するようになっていくようで、例えば休日でも平日と同じ時間に目が覚めたり、スーツや制服を着ると仕事モードに切り替わるスイッチが入ったりするのはもちろん、 “毎朝便座に座ってふんばる”というルーティーンを守っていると自然に便通がよくなったりもするそうである。いわゆる“パブロフの犬”のような状態だ。

一方これには危険性もあり、例えば寝つきが悪く布団の中で悶々としているのが何日も続くと、体と脳が「このベッドでは眠れない」と記憶してしまい、何日も眠れない日が続く可能性があるそうである(ちなみにそういう場合は布団から出て読書などをして眠くなるのを待つといいらしい)。

これを僕に当てはめると、現在僕の体と脳は「書斎はパソコンをいじる場所」と記憶していることになる。もしかしたら「書斎はポコチンをいじる場所」と記憶している恐れもある。「ここでは勉強はできない」という負の記憶も蓄積されているかもしれない。だから書斎に座っても中国語を勉強するやる気スイッチが入らないのだ。参ったな。受験戦争を勝ち抜いた僕が今や「机で勉強できないおじさん」になっているなんて。

それで僕は書斎での勉強をあきらめて外に出ることにしたのだが、今のところすこぶる順調である。こんなことならもっと早く外に出ていればよかった。ちょっとやる気スイッチが入ったかな?やる気スイッチというか、“やる気充電”といった感じなのかな?社会人のやる気充電ステーションは意外に街中にあるのかもしれない。

勉強をする高齢者のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

旅行って、何が楽しいんだっけ?

時間と金に少し余裕ができたので、旅行にでも行こうかと思っている。独身時代はよく一人で東南アジアを旅行したものだが、現在50歳になった僕は戸惑っている。

行きたいところも、やりたいこともない・・・

おかしい・・・。僕は旅行が好きだったはずなのに・・・。せっかく妻子抜きで一人で旅行に行けるチャンスなのに・・・何も浮かばない!あれ?そもそも旅行の楽しみって、何だったっけ?


僕は今、仕事でマレーシアに住んでいる。息子が日本の学校に転入するために妻子は一足先に本帰国。僕は束の間の単身赴任をしている。そして僕の任期ももうすぐ終わりということで、貯まっていた有休を消化しなければならないことになった。しかも妻子がいた時に比べて生活費の出費がかなり減ったので自由に使えるお金もそれなりにあるのだ。ならば最後に旅行でも行こうかと思ったのであるが、なかなか行き先が決められないでいる。なんか・・・どこも・・・ドキドキしないのだ。トキメかないのだ。

ちなみに結婚前はよく東南アジアを一人で旅行していた。ブログにも残っているが、実に楽しそうな自分の記録が残っている。

飛行機って・・・ - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

日本のみなさん、さようなら - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

バカンスの朝 - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

「やっぱりスイカなんだ」 - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

ダブルベッドで寝返りを - 俺よ、男前たれ (hatenablog.com)

ところがその後、僕は幸か不幸か結婚をし、子供を設け、しかもこの10年東南アジアで仕事をするようになっていた。仕事はもちろん、新しい家族との生活は楽しいし、家族で行く旅行は一人旅とはまた違う楽しみがあった。

が、逆に今、一人で旅行をすることにまったく楽しみを見いだせないでいる。昔書いていたブログによると、僕は旅行に大量の旅行本やエッセイ本を持って行って、飛行機の中やホテル、プールサイドなどで読書を楽しんでいた。が、僕は今ほとんど本を読んでいない。というが紙の本をほとんど手にしていない。何か読みたいならKindleスマホということになるんだろうけど、旅先でスマホって・・・暇つぶしでしかないよな。

旅行の楽しみっていうと①きれいな景色を観たり写真を撮ったりする、②おいしいものを食べる、③ショッピング、④珍しい体験、⑤地元の人との触れ合い⑥ホテルで贅沢、なんかがメインになるんだろうな。で独身時代の僕は一人旅でもちゃんと①~⑤を満喫していたし、家族と一緒なら⑥もしていた。なのに今、僕はそれを楽しめる自信がない。

心配している人のイラスト(中年男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

①きれいな景色を観たり、写真を撮ったりする

 今回の旅行も日程的・金銭的にマレーシア国内か、東南アジアということになる。が、東南アジアは結婚前もそれなりに行ってきたし、この10年実際に住んでいたので、ときめくほど行きたい場所がない。またネット(SNS)の普及もあったし、50年生きているとテレビや雑誌、ネット記事やYoutubeなどでも嫌というほど情報に触れてきたので、改めて行きたい場所と言われても・・・ねぇ。この中年男性が思わず見惚れてしまうような風景・景色って、まだあるだろうか?

 さらに僕は家族写真以外をほとんど撮らないのである。海外に住んでいてきれいな景色、変わった習慣、おいしそうな食べ物、珍しい動植物なんかもあったけど、「ネットにプロが撮ったもっときれいな写真があるしな」「家族写真以外は見返さないよな。この景色をまた見たかったらネットで検索すればすぐ見られるし」などと思ってしまい、建物・動植物・風景写真を撮る気になれない。

②おいしいものを食べる。

 おいしいものを食べるのは旅の醍醐味である。僕は高いシーフードなどはあまり興味はないが、屋台飯、経済飯、ローカルフード、麺などは大好き。若い頃は一人で何品も頼んで「うわぁ、頼みすぎた!」なんて言いながらも犬のようにバクバクと平らげたものだし、寝る前にも夜食として焼き鳥とか炙ったスルメとかを買ってビールとともに流し込んだものだ。

 が、50歳にもなると食は悲しいくらい細くなる。「あれも食べたい、これも食べたい」と思っても、食べすぎるとすぐ気持ち悪くなるし、腹は醜く膨れてくるしで、食べ物に対する恐怖心・警戒心すら抱いている。なので旅行に行ってもおいしいものをたくさん食べる喜びが見いだせない。

③ショッピング

 昔はバカバカしいことが書かれたTシャツだとか、少数民族の人が織った小銭入れとか、木彫りの象の置物とかを旅行のたびに買っていたような気がするが、そういえばこの10年くらい、自分のためのお土産を買ったことがない。旅先のショッピングは職場へのお土産くらいか。結婚後、お小遣い制になったこともあるが、「旅先で買ったものは使わない」ということを学習した、というのもある。

 ましてや僕は数か月後に引っ越しをするので、荷物は増やしたくない。つまり今の僕にとって「旅先でのショッピング」は全く魅力にならない。

④珍しい体験

 これはちょっと興味がある。ジャングルトレッキングとか、登山とかは興味がないわけではない。死ぬ前にパラセーリングとか、バンジーとかやってみてもいいかもしれない。ただ僕は一人なのだ。僕がパラセーリングをしている間、僕の財布やらかばんやら着替えはどうしたらいいのだろう?家族がいれば僕が楽しんでいる間、荷物を見ていてもらうこともできるが、一人旅だと結構不自由なことも多い。ジャングルトレッキングも他の家族連れや学生サークルの中で、中年の独り者のおじさんはどう振舞えばいいだろう?彼らから「おじさんが一人で寂しそうに歩いてるな」と憐みの目で見られたり、「これからボートに乗ります。あ、おじさんは一人ですか?じゃ、こちらの学生さんたちの船に乗っちゃってください」なんか言われて気まずい思いをしたりするのではないか。食事もぼっちでテーブルを使うことになって申し訳ない気持ちになったりしないだろうか?そう考えると・・・行きたくなくなる・・・。

⑤地元の人との触れ合い。

 僕はもともと人見知りなうえに、今は50歳のおじさんなのである。これがナオト・インティライミみたいな陽気なキャラだったら地元の人とサッカーをしたり、歌を歌ったり、夜にバーとかクラブに行って盛り上がったり、家に泊めてもらったりするのだろうが、僕は陰気なのである。しかもおじさんなのである。道端で倒れでもしない限り、だれも構ってくれないだろう。

 ちなみにそれでも独身時代は地元のお姉さんと素敵な夜を過ごすこともあった。ボデーランゲージで語り合う夜もあった。が、僕はもう既婚者なのである。さすがにもうこれはしてはならない。

 が、酒もビール1本くらいしか飲まない、女遊びもしない、人見知りでコミュ障、もちろんドラッグもギャンブルもしないおじさんは旅先の夜に何をしたらいいだろう?ホテルの部屋でYoutubeを見るだけならわざわざ旅に出る必要もない。

⑤ホテルで贅沢

 家族と旅行に行くときは子どもが小さいこともあって子供プールが充実しているところを選んだり、奥さんが気に入ってくれそうなそれなりのホテルを選んでいた。が、僕は自分のためにホテルにお金をかけるのは気が引ける。僕一人なら安宿でいい。もったいない。

 が、よくよく考えると現在、奥さんと息子が寝ていた大きなベッドを僕一人で贅沢に使っているので、わざわざ旅行に行って小さなベッドに寝る必要があるだろうか?

 

そう考えると、本当に旅行の楽しみが見いだせない。

若い頃からマイナス思考で、最終的に”行動しない”ということも多く、さらに後悔することもあったので、それ以降迷った時はいつもこう考えるようにしている。

旅行に行くことは自分への課題。迷わず行けよ、行けば分かるさ!

猪木の書いた絵が300万円で落札・・・ゲノムビデオVol.4 : 見たくない奴は見に来るな!

仕事が趣味の人は不幸か?

最近、思うことがある。それは“仕事に行けるってつくづくありがたいな”ということ。趣味がないおじさんにとって、仕事って唯一の救いであり、癒しである。なんだったら“趣味”かもしれない。“仕事が趣味”というとなんかものすごく仕事がデキる人か、プライベートの時間が全くない社畜かといったイメージだが、僕の場合は本当に健康維持・リラックス・充実感・ご褒美、などを兼ね備えたものが”仕事“だ。

使いたい・・・使いどころが分からない「いらすとや」のイラスト20選 | 笑うメディア クレイジー

そもそも、趣味ってなんのためにするのだろう?

草野球、フットサル、ゴルフ、マラソンなんかのスポーツは、「健康維持」や「ストレス解消」「社交」なんかが目的なんだろうな。もしかして“記録”を狙うことでチャレンジ精神や向上心なんかを磨いているのかもしれない。

映画・ドラマ鑑賞、カラオケ、絵画、バンド活動なんかの芸術系はどうだろう?やはり「ストレス解消」というのが目的になるんだろうな。仕事や勉強のストレスも趣味をしている間は心が静かに安らかなったり、反対に思いっきり表現することによって発散させたりできるしね。

アイドルやアーティストのファン活動、ゲーム、SNS投稿なんかは今っぽいな。“現実逃避”っていうのもあるかもしれない。それに没頭している間だけは何もかも忘れられる、みたいな。一人でしてもいいし、仲間と趣味について話し合っても楽しそうだ。業界に詳しくなったり、歌や踊りが上手くなっていくのも自尊心が芽生えていいかもしれない。

食べ歩き、旅行、風俗巡りなんかは刹那的だがそれをしている間は幸せだろうし、家庭菜園・料理・習い事なんかは実益も兼ねてそうだ。

ただ、僕はこれらに一切興味がない。もちろんいくつかはやったことがあるが、趣味として継続したことはない。なんか・・・ハマらないのだ。「何が面白いんだろう?」と思う時さえある。が、僕が趣味を持てない一番の原因は「お金がかかるから」ということだろう。僕は生まれついての貧乏性で、”本当に価値があるもの“以外にお金を使いたくない性分なのだ。

心を病む人のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

が、さらに厄介なのは「実は趣味を持っている人を羨ましがっている」ということだ。これが実に厄介で、他の人が仲間と楽しそうにスポーツをしたり、ゲームをしたりするのを遠目に観て「いいな・・・」と思うことがよくあるのだ。それなら同じ趣味を初めて仲間に入ればいいのにと思うかもしれないが、「そこまで1つのことにハマりたくないんだよな」「俺は正社員じゃないから将来のために貯金しなきゃならんし、自由に使えるお金もないし」「仕事より趣味を優先できる独身者とは違うし・・・」などと言い訳ばかりしてブレーキをかけるもう一人の自分がいるのだ。

そんな僕が一番困るのが“長期休暇”である。趣味のないおじさんにとってはこれが一番困る。家族と2泊くらいの旅行の予定が入っていればなんとかなる。問題はせっかくの長期休暇なのに息子は部活の合宿や学校の友だちと遊びに行く約束、妻はママ友とランチや習い事なんかで誰も僕の相手をしてくれないときである。

僕は酒もほとんど飲まない、ギャンブルもしない、趣味がないから友だちもいない、つまりほとんど時間をつぶせないのである。なんとなく掃除をしたり、なんとなくテレビを見たりスマホをいじったり、なんとなく昼寝をしたり散歩をしたりして時間をつぶすのだが「この間に仕事をして稼いでいる人がいるというのに、俺はなんて無駄な時間を過ごしてしまったんだ・・・」と後悔ばかりが頭をよぎり、結局休暇を充実させることができないで終わる。

無気力な人のイラスト(中年男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

こんな時僕はいつも「ああ、長期休暇なんかなくていいのに」「平日に半休をくれるだけでいいのに」なんて思ったりする。別に仕事が大好きなわけでもないし、優秀なわけでもない。でも仕事に行くのは好きなのだ。「勉強は嫌いでも学校は大好きな小学生」みたいな感じか?

だって仕事があるといいことづくめだ。

まず朝早起きして朝ごはんを食べる。外出をして日の光を浴び、外の空気を吸う。実に健康的だ。また職場で食べるお菓子とインスタントコーヒーはそれなりに旨い。家で飲むインスタントコーヒーはひもじい感じがするが、デスクだと「仕事をやってる感」が出る。そして昼飯までのワクワク感がいい。「今日は何を食べようかな」と考えている時間は楽しいし、愛妻弁当は弁当で中身を予想しながら過ごせていい。午前中は時計ばかり見ながら「早くお昼にならないかなぁ~」なんて過ごしている。

昼飯を食い終わってから見るYoutubeは家のソファで見るYoutubeと全く違う。「昼休憩が終わるまであと12分!俺が観るべきものは・・・」と真剣に選び、真剣に観る。ダラダラ見ないから充実している。会社で見るSNSは禁断の果実だ。このスリルがたまらなくいい。

仕事は仕事でそれなりに楽しい。上司や部下の顔色をうかがい、事なかれで会議が終わった時の安堵感。たまに仕事がうまくいったときの興奮!そして仕事と関係ない話をしている時の妙な盛り上がり!仕事だけでつながってると思っていた同僚に妙に親近感が湧いたりして、「ああ、仕事と関係のない話ができるっていいなぁ」「仲間っていいなぁ」と勘違いをさせてくれる。

通勤もいいな。満員電車はスポーツのようでもあり修行のようでもある。あのぎゅうぎゅう詰めの数十分を目を閉じ、何も考えず・何も感じず・無の境地を保ち続ける感じがいいね!電車から降りて会社まで歩くときに「街路樹が色づいてきたな~」とか「このビル、新しいテナントが入ったな!」「むむ!蝉の死骸!」なんて発見をするのも素敵だし、たまに缶コーヒーを飲みながら「あのOLさん、キリっとしてんな~、仕事できるんだろうな~。付き合いてぇなぁ」「あのカップル、不幸な別れ方せんかな~」「あいつ若いのにいいスーツ着てんな~」「俺も大企業の幹部ってもんになってみてぇなぁ。どんな人生になるんだろう?」「あの爺さん、生気ねぇなあ。俺も年を取ったらこんなみすぼらしい爺さんになるんだろうなぁ~」なんて人間観察するのも楽しい。

しかもこれらがほとんどタダで楽しめるのである。タダどころか、仕事に行けばお金がもらえちゃうのである。

これらは全て仕事に出ていなかったらできないことだ。僕が仕事に出ることは「健康維持」「ストレス解消」「社交」「現実逃避」「実益」すべてを備えている。だから僕にとっては“仕事が趣味”。仕事に行けるってことはつくづく・・・・ありがたい。

おじさんサラリーマンのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

WBCって?

A:いきなりなんですけどね、ウチのおかんが好きなスポーツがあるらしいんですけど、その名前をちょっと忘れたらしくて。

B:スポーツの名前を忘れてもうて?どうなってんねん、それ?

A:そやねんな。

B:でもおかんの好きなスポーツなんかね、バレーボールかボーリングくらいでしょ。

A:それが違うらしいねんな。

B:いやいや、バレーボールかボーリングくらいですよ。

A:それが違うらしいねん。

B:いや!バレーボールかボーリングや!そんなもん。

A:いやそれが違うらしいのよ。

B:違うの?

A;で、いろいろ聞くんですけど、わからへんねんな。

B:わからへんの?ほな俺がオカンの好きなスポーツ?いっしょに考えてあげるから、どんな特徴言うてたか教えてみてよ。

A:なんか昨日アメリカで決勝戦があって、日本が勝って世界一になった言うねんな。

B:は~・・・野球やないか。その特徴は完全に野球やがな。すぐわかったやんこんなんもう~。

A:ちょっとわからへんねんな。

B:なにがわからんの、野球やんか。

A:俺も野球思ったんやけどな、

B:そうやろ?

A:オカンが言うには、そのスポーツの世界大会中、日本人が「はよ負けろ」言うたらしいんや。

B:ほぉ~・・・ほな野球と違うか。野球は日本中が盛り上がったからね。「はよ負けろ」なんて言うたら日本中から叩かれますから。野球とちゃうがな。ほなもう少し詳しく教えてくれる?

田中 (@xxx_____69xx) / Twitter

A:このスポーツの話をしていると中居正広君がしゃしゃり出てくるらしいねん

B:野球やないか。あの人ほかの番組はやる気なさそうにヘラヘラ進行するのに野球の話題の時だけ前のめりになるんやから。野球に決まりやそんなもん。

A:わからへんねんな。

B:なんでわからへんねん。

A:俺も野球や思たんやけど

B:そうやろ

A:オカンが言うには、今や小学生男子がみな放課後にするらしいねん。

B:ほな野球ちゃうやないかい。小学生が原っぱで野球をするなんてのは今や『ドラえもん』の中だけなんやから。中島君も最近は全然カツオ君を野球にさそわへんよ。野球とちゃうでほんなら。ほなもうちょっとなんか言ってなかったか?

A:そのスポーツを引退するとYoutubeチャンネル開く人が多いらしいねん。

B:野球やないか。野球選手はしゃべりが上手いから登録者数もめちゃめちゃ多いのよ。上原浩治62.6万人、里崎智也59.2万人、古田敦也56.6万人いるんよ。なのにサッカーは本田圭佑で23.2万人ですよ。高木豊さんより少ないんですから。昔の野球選手のポテンシャルはすごいんやから。これはもう野球選手で決まりよ。

A:でもわからへんねんな。

B:なんでわからへんねん。

A:俺も野球や思たんやけど

B:そうやろが。

A:オカンが言うには、道具がいらないから安上がりらしいねん。

B:ほな野球とちゃうやないかい。野球は貧乏人にはできないの。特にキャッチャーなんて体中に防具をつけなきゃいけないんですから、大金持ちですよ。お金持ちのボンボンだから昔からキャッチャーは太ってるの!ほやから野球ちゃうがな。ほなもうちょっとなんか言ってなかったか?

三大デブの宿命】キャッチャー&ドラム&イエローにされる理由について考える | 日本海ぱんく通信

A:オカンが言うには、50代以上の上司と話を合わせるにはいいらしいねん。

B:野球やないかい!野球とプロレスはおじさんのたしなみなのよ。WBCなんて観てるのはほとんど50代以上のおじさんなんですから。野球の話をしておけばおじさんもストレスなく仕事をするんですよ。今日本の景気が悪くなってるのはおじさんから野球中継を奪ってしまったのが原因なんです。おじさんには野球。間違いない!野球や!

A:でもわからへんねんな。

B:なんでわからへんねん、これで!

A:俺も野球や思たんやけど

B:そうやろ

A:オカンが言うには、勝敗がすぐつくから若い人に人気だって

B:ほな野球ちゃうやないか。野球は試合時間が長すぎてテレビから消えたの!昔からビデオ録画の敵だったんやから。延長なんかされた日には夜9時からのドラマが録画できてなかったんやから。タイパが悪いのよ。若い人が好きなのはすぐに勝敗が付く相撲!野球ちゃうで!ほなもうちょっとなんか言ってなかったか?

A:オカンが言うには、そのスポーツを昼にするとき目の下を黒いマジックで塗るらしいんよ

B:野球やないか。デーゲームのメジャーリーガーは目の下に黒いマジックで線を書くのよ。そいでガムを噛みながら大股で構えて豪快に空振りするのがいいのよ。これで三振したらこうよ?こうやってバットを膝で折って、地面に叩きつけるのよ。悪いのはバットやないのに!たまにこうやってバットに膝を打ち付けて膝痛めてまうこともあるんやから。罰が当たったんやな。俺も子供の頃目の下のクマがひどくて“外国人助っ人”って呼ばれたからわかんねん。野球や!

A:わからへんねん。

B:わからへんことあらへん!オカンの好きなスポーツは野球やもう。

A:でもオカンが言うには、野球ではないんて。

B:ほな野球ちゃうやないか!・・・だったら先ゆえよ!俺がデーゲームのメジャーリーガーのマネしてる時どう思ってたんや!

A:申し訳ない。

B:ほんまにわからへんがな。どうなってんねん。

A:でもオトンが言うには

B:オトン?

A:カバディちゃうかって

B:絶対ちゃうやろ。もうええわ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230322/k10014015641000.html

『THE FIRST SLAM DUNK』の正しい見方

(ネタバレあり)

『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。マレーシアの映画館で。これが本当に面白かった。すごく良かった。ネットのレビューなんかでも軒並み高評価だったけど、わかるわ。映画として客観的に素晴らしいのか、世界的にヒットして当然なのかはわからないが、青春時代にリアルタイムで『SLAM DUNK』を読んでいた世代にはたまらない映画だった。原作にもあった『湘北VS山王戦』のあの感動に加え、新たに宮城リョータのストーリーが加わって、懐かしさ+ドキドキの両方を楽しめた。

で、映画館にいた家族連れ、友達同士、バスケットボール選手風のマレーシア人もみな満足そうに映画館を後にしていたのだが、僕はふと思ったのである。彼らは原作を読んでいたのだろうか?映画版だけではわからない各キャラクターの背景とか関係性とかを知っていたのだろうか?それを知らないでも楽しめたのかもしれないし、試合の結果を知らない分、もしかしたら僕よりもドキドキ興奮しながら映画を楽しめていたのかもしれない。

あの映画って、『SLAM DUNK』の原作を知っているほうが楽しめるのだろうか、知らないほうが楽しめるのだろうか?

The First Slam Dunk' review: A heartfelt adaptation of a beloved manga  series about life and basketball - YP | South China Morning Post

 

漫画『SLAM DUNK』が週刊少年ジャンプに連載されていたのが1990年~96年なので僕は高校生から大学生にかけて。大学に入った頃はもう週刊少年ジャンプは買っていなかったんだけど『SLAM DUNK』だけは続きが気になっててコンビニで立ち読みをしていたな(そういえば当時のコンビニは少年漫画も立ち読みし放題で、『ジャンプ』とか『マガジン』はいつもボロボロの状態で並んでいたな)。その後も床屋とか病院の待合室なんかにあった単行本を読んだり、アニメ版で繰り返し観ていたので『SLAM DUNK』の名シーン、名セリフなんかは今でもちゃんとインプットされているし、日本人なら安西先生の名セリフ『あきらめたら、そこで試合終了ですよ』くらいは一度は聞いたことがあるはずだ。

名言 | 株式会社京葉恒産

ちなみに僕の一番好きなシーンは『THE FIRST SLAM DUNK』でも描かれた山王戦の終盤、ボロ負けの展開からついに一点差まで詰め寄るとベンチで応援していた湘北高校1年生の石井健太郎君が嗚咽をしながら「湘北に入ってよかった・・・」とつぶやく場面。わかる、わかるよ石井君。高校時代野球部で補欠のザコキャラだった俺にはわかる。これ、レギュラーよりも補欠のほうがそう感じたりするんだよな。

スポーツ漫画の金字塔といえば | CLUB LEADERS

そんな思い入れのある『SLAM DUNK』の映画版は、とにかく映像がかっこいい。90年代のテレビアニメでは描き切れなかった立体感、令和のアニメーションのすごさをまざまざと見せつけてくれる。かといってCGバリバリというわけではなく、手書きの良さも存分に残されている。『鬼滅の刃』とか『One Piece』といった現実離れしたキャラクターが飛んだり跳ねたりするのとは違い、『SLAM DUNK』は人間の高校生がバスケットボールをする姿を描いている。なのでフルCGのキャラクターでは逆に非現実的になってしまうのだと思う。『THE FIRST SLAM DUNK』は手書きの粗さ、井上雄彦先生のタッチを最大限に残しつつ、令和のアニメのリアルさや立体感、ダイナミックなカメラワークを加え、ドリブルやジャンプからの着地といった人間の自然な動きも本当に忠実に描いている。

僕は原作を知っているので試合展開は全部知っている。だから純粋に描写のすごさに集中して観ることができた。でもマレーシアの観客のことを思うと少し心配になったのである。『THE FIRST SLAM DUNK』では三井寿の過去も桜木花道流川楓の性格や関係も詳しくは描かれていない。原作を知らない人でもなんとなく「昔不良だったんだな」「二人はライバルでいがみ合いばっかりしているんだな」ということはわかるだろうが、原作ファンとしては「もっとちゃんと知ってほしい」「三っちゃんの過去を知っていたらもっと映画を楽しめるのに」と思ったりもする。

『THE FIRST SLAM DUNK』の山王戦の最後、桜木花道ブザービーターを決める場面。ボールがゆっくりリングに向かっていってネットを揺らすまでの間、30秒くらい無音が続くのである。テレビアニメでありがちな「ドックン・・・ドックン・・・」という心臓音が鳴るわけでもなく、怖いくらい完全な無音。原作を知らない人はみな息を止め、手を握り、固唾をのみ込む場面だ。しかし映画の中の無音に慣れていないマレーシアの観客は一番いいこの場面で誰かがクスっと笑ったり、子供が「キャッ!」と声をあげたりしていたのである。一方僕は僕で「うそだろ?入るか入らないかドキドキして見るもんじゃないの?」とイライラしつつ、結局ブザービートを決めるのはわかっているので「ちょっと無音が長すぎるか?」なんて冷静に思ったりしていたのである。

試合の展開や結果を知っているからこそ安心して映画を観ることができた一方、クライマックスのドキドキ感は味わえないというのが、いいことなのか損なのか。試合結果がわからなければそれはそれで映像の美しさやキャラクターの描写よりも試合の結果のほうに気を取られてしまうかもしれないし・・・。でも韓国やフィリピンで原作を知らずにこの映画を観た人はラストのブザービートで安堵のため息や歓声が聞こえるなど、実際の試合の応援さながらの楽しい観戦になっていたらしい。

原作を知っている側、知らない側、どちらも楽しめるといえばそうなんだろうけど、どちらも楽しめない部分もあったような気がする。これだけは少しモヤモヤが残ったな。『SECOND SLAM DUNK』に期待・・・って、あるのか?

原作を知らない人は、やはり『THE FIST SLAM DANK』を観た後、原作を読破して、この作品の主役が実は宮城リョータじゃなくて桜木花道だということも理解した上でもう一度『THE FIRST SLAM DUNK』を観てほしい。つまり2回以上は観てほしい。こうすると2回の鑑賞も1回目とは別の楽しみ方ができるし、現時点で”原作知っているマウント”を取っている僕のような人よりずっと『THE FIRST SLAM DUNK』を楽しめたことになる。これが正しいと思う。

THE FIRST SLAM DUNK : 作品情報 - 映画.com

『およげ!たいやきくん』考

僕がお気に入り登録しているYoutube Channel『Mr.Fuji From Japan』にて『およげ!たいやきくん』のリアクション動画がアップロードされた。懐かしいな!『およげ!たいやきくん』。1975年の発売だから僕が2歳の時か。もちろん発売当時のことはわからないが、その後もずっと『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ系列)で毎日のように流されていたのでよく聴いていた。で、Mr.Fuji君達がこの歌の歌詞について「どうゆうこと?」「日本一売れたCDは結局自分が食べられちゃう歌?」なんて言っているのを観て、いろいろと言いたくなってしまったのだ。この歌は・・・すごいんだぞ!

日本で一番売れた曲を初めて外国人が聞いたらノリノリになったwww【 およげ!たいやきくん & だんご3兄弟 】【海外の反応】 - YouTube

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ちなみにネットで調べてみたら『およげ!たいやきくん』の歌詞についての考察がここ数年、妙に増えているようだ。そして大方の見方は一致していて

・『およげ!たいやきくん』の歌詞は、当時の社会状況を反映している。

・サラリーマンの悲哀を歌った社会風刺ソングである

・タイ焼き屋=会社、鉄板の上で焼かれる=会社の型どおりに働く社畜、辛い仕事、おじさん=上司、おなかのあんこ=家族、桃色サンゴ=水商売の女、難破船=昔栄華を誇った場所、落ちぶれた先、サメ=堅気じゃない人、釣り針=詐欺・罠 などを表している、などなど。

作詞者の高田ひろお氏がそこまでを考えていたかはわからない。が、そこまで深く読み込め、解釈が広げられるような歌詞であることは間違いない。Wikipediaには「子供たちに遊び心と冒険心を伝えたい」「たい焼きを七つの海で自由に泳がせたら面白い」と思い立って書いた児童小説を読んだポンキッキのスタッフが歌にすることを依頼した、とまでしか書いていない。

およげ!たいやきくん - Wikipedia

ただ当時の子どもたちは当然そこまで歌詞を読み込めるはずもなく、当時の大人だって子供がほしがるからレコードを買ってやっただけだと思う。カラオケだってなかったし、大人が子供の歌を聴いたり歌ったりするような時代じゃなかった。ではなぜこれだけのヒットにつながったのか。以下は僕なりの考察である。

①『ひらけ!ポンキッキ』の影響

月曜から金曜日まで毎朝放送される人気子ども番組で毎日のように流れるのである。これ以上のプロモーションはあるまい。発売前の予約がすでに30~35万枚あったというのもうなずける。あのアニメのような、紙人形劇のような映像も印象的だったし、海中にいるようなゆらゆら揺れる演出も見事。さらに最後のおじさんの見た目の気持ち悪いさったらなかったな。

およげ!たいやきくん / 子門真人 - YouTube

②発売年

1973年生まれの僕は第二次ベビーブーマー、僕の父は団塊の世代。つまり親子ともに人口の多い世代だった。その多くの子どもが「このレコードほしい!」とねだり、その多くの親が「しょうがねぇ。買ってやるか」と行動に移してくれた。スマホも電子ゲームもなかった時代の贅沢なプレゼントだったんだろうな。ま、レコード買わなくても毎日テレビで流れていたんだけど。

子門真人

Wikipediaで調べてみると、最初は生田敬太郎さんという方が歌っていたそうだが、当初はレコード発売の予定がなかったので生田さんは別のレコード会社と専属契約を結んでしまったそうな。で代役としてたてられたのが子門真人さんなんだけど、圧巻だよな。子門さんじゃなかったらもしかしたらここまでのヒットにはなっていなかったかもしれない。僕は一時期、この歌を「みゃ~いにち、みゃ~いにち、ぶぉくらはてっぷぁんぬぉう~」なんて歌っていたが、これはとんねるず木梨憲武さんの影響だ。ノリさんは子門さんの歌い方が大好きでよくパロディをしていて、当時の子どももマネしていたな。風貌はコミックソングを歌いそうなんだが、歌の迫力・表現力はすごいの一言に尽きる。『ガッチャマン』も『ライディーン』も最高!

ガッチャマン (1972) OP2 - GATCHAMAN OP2 - YouTube

勇者ライディーン OP STEREO - YouTube

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④ツッコミどころのあるストーリー

現在では『およげ!たいやきくん』の歌詞について深く考察されているが、当時の子どもは「タイ焼きがどうやっておじさんとケンカするんだ?」「タイ焼き屋から海までどうやって移動したんだ?」「タイ焼きがどうやって釣り針に食いついた?口開かないだろ!」「海でふやけたタイ焼きを食うか?気持ち悪りぃ!」とツッコんでばかりだった。それがおもしろかった。子供ウケのいい歌やお話ってのは、理不尽で不自然で、ツッコミどころがあるほうがいい。なんなら少し残虐性があったほうがいい。「浦島太郎」なんてカメを助けたのに老人にされるという理不尽な話だし、「カチカチ山」なんてばあさんは鍋にされるわタヌキは船を沈められオールでとどめをさされるわ、かなりホラーだった。ああいう物語としての”ひっかかり”があると子供の記憶に残る。

⑤哀愁漂うメロディ

あの曲を作った人達ってすごいよな。歌詞を書いた高田さんはもちろん、作曲をした人も、編曲をした人もすごい。普通イントロからあんな哀しいメロディーつける?子供向けの曲に。バイオリンだかストリングスだかのちょっと冷たい音に、エレキギターのちょっとまぬけで哀愁漂うメロディが重なるあのイントロを聴くだけで一気に当時の気持ちに戻される。でゆっくりとしたAメロ、ノリのいいBメロでスケールが大きくなったのにまたAメロに戻って一気に哀愁の世界に引き戻される。

最後の最後もやっぱりハッピーエンドにならないのが歌詞でも音でも表現されている。たまらんね。

⑥そしてやはり子供の心に刺さる歌詞。

当時の僕はまず”ももいろサンゴ”という魅惑的な響きに心を打たれた。そして「時々サメにいじめられるけどそんなときゃ(そうさ)逃げるのさ」で感じた嫌な汗とドキドキ。さらに「どんなにどんなにもがいても、針が喉からとれないよ」という心の叫びを聞いた時の絶望感と恐怖。最後は「やっぱり僕はタイ焼きさ、少し焦げあるタイ焼きさ」の時の虚無感。調子に乗っていたヤツが死ぬ時ってこんな感じなのかな?「俺は自由だ!勝ち組だ!人気者だ!天才だ!有能だ!」って思って周りを見下してたやつが人に騙されたり炎上したり誰にも相手にされなくなったりして富も地位も名誉も人望も失ってどん底の状態で死ぬとき、「やっぱり俺は凡人だ」「成り上がりの田舎者だ…」「利用されてただけだったな」「所詮、ピエロだな」「自分では何もできない無能だったな」なんて思うのかな。

弱肉強食の”弱肉”

ちなみに『およげたいやきくん』は毎日の家事やら掃除当番なんかを黙々と淡々と、ちょっと嫌々するようなときに歌うとピッタリくる。僕は家族の垢がついた湯舟を洗剤とスポンジでゴシゴシこするときに「ま~いにっち、ま~いにっち、ぼくらはてっぱんのぉ~」なんて鼻歌を歌っている。おじさんの”やらされてる”作業には『およげ!たいやきくん』の哀愁のメロディーがよく似合う。